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子どもが将来の夢を強制されない社会へ

人は観念に支配されている。特に、みんながもっている観念=共同幻想に支配されている。

共同幻想とは、例えば、母親とは全てを犠牲にして子どもに尽くさないといけない、などの固定観念である。日本社会にはこうした母性神話が前提でシステムができているので、全てを子どもに尽くさない、尽くせない母親や、その子には辛い。その結果虐待がおこることもある。そしてこの共同幻想は、支配者や多数者の都合がよい幻想なのである。

このように、人のための観念、システムではなく、観念、システムに人が強いられている。これは、日本の教育の時点からそれははじまっている。
たとえば、良い大学を出ないと良い職を得ることができず、生きていけないという。良い大学に入るには、良い高校に入らなくではならず、良い高校に入るには、良い中学校に入るべきである。良い中学校に入るには、良い小学校に入るべきで、良い小学校に入るには、良い幼稚園に入るべきである。良い幼稚園に入るには、親の多額の献金と、社会的地位が必要である。それができない場合は子どもを塾に入れて受験戦争で死ぬ気で勉強しなければならない。これは紛れもなく、システム、幻想のために人が強いられている。私の高校時代の同胞も、辛い受験戦争のために鬱になった。

子どもに将来の夢を持つよう強いるのは、酷ではないか。
将来の夢も幻想である。それが生きる活力になるなら構わないが、将来の夢を持たせることが、商売になってないか。
例えば、将来イラストレーターになりたい女の子がいたとする。この女の子 が学校の先生に相談すると、イラストレーターを目指す学校があると言う。その学校に行くためには、美術専門の塾に行かなくてはならないという。それで、その女の子は塾に多額のお金を払い、学校入学の際には奨学金という名の学生ローンを組んだ。しかし卒業した後に仕事が見つからず、今では全く別の仕事をしている。いきる意味に悩み、自害してしまった。結局、ただ金が巡って学校や塾が儲かっただけである。
この女の子の別のシナリオを考えてみる。女の子は、ネット上でイラストを公開してみた。しばらく続けると、自分なりのテイストができてきた。ある日、突然、壁紙にしたいから大きいサイズでアップロードしてほしいというメールが届いた。それから、パソコンやスマホ向けのイラストをアップロードするようにした。するとある日、私のサイトの挿し絵を書いてくれませんか、というメールが届いた。こうして女の子は代金をいただき、イラストレーターとなった。高校卒業後、事務員をしながら、イラストレーターの仕事をしている。
この後者の女の子のシナリオでは固定観念に縛られなかった、ゴールとその道程を決めなかった。そしてまた夢を持たなかったことである。

今回はイラストレーターであったが、医者など社会的地位が伴うと親の欲望も絡む。また、弁護士の法科大学院問題のように、そもそも仕事をするには資格が必要でそのためには、絶対的に多額の資金が必要となると事態は深刻である。

よく、子どもが夢をもてない日本社会は終わった、と書く人がいる。私も概ね同意である。これに付け加えるとしたら子どもが将来の夢を強制されない、それが金儲けの手段とならない社会になって欲しい。

善とはなにか、ツー

アリストテレスによると、善とはさまざまあって、人によりことなる。
そして、自分にとって良いことをしても、相手にとっては大惨事であることもある。
よく宗教では良いことをしなさい、というが、自分にとって良いことをしたら相手にとっても良かったなんてことは、単なる偶然に過ぎないのではないかと思う。
私は外出先のトイレでペーパーを三角にしていた。次の人に気持ちよく使って欲しいからだ。ところが、ある人は潔癖症で、誰かが三角にしたペーパーなんて使いたくないのだという。
私は、誰かのために何かしてあげたくなったら、可能ならば相手に確認する。無理なときは、その欲望を抑える。そして、絶対に見返りを要求しないようにしている(しかし難しい)

善とは何か

アリストテレスによれば、万物は善を希求しているという。善にもさまざまあって、ほとんどが、善のように見えるものだという。善には、手段となるものと目的となるものがある。手段と目的の連鎖をたどった果ての最終的な目的が幸福である。(アリストテレス、ニコマコス倫理学)

私が最近考えるのは、善とは都合が良いものなのではないか。人によって都合は違うから、ある人にとって善でも他者にとってはそうではい。そして、ある集団ができたときは、権力者、あるいはマジョリティーの都合(善)が優先され、それが確固たる不動の善だと集団の共同幻想となる。そして、弱者が善を押し付けられて苦しむ、モヤモヤ感じるのはこのためである。
羽入 辰郎によると、ナチズムなどでよくあるデマゴギーは善行の強制だという。支配として自己犠牲などの美徳を強制するのだ。
話が大きくなったが、私は、とは、こうした善の最たるものなのではないだろうかと思う。理想の母とは、実に子どもにとって、家族にとって、社会にとって、国家にとって都合が良い。そして弱者であるは自己犠牲を強いられ、理想の母、つまり都合のよい存在にならない場合は鬼母扱いされ避難される。

自分のために備忘録、やる気スイッチは自分しか押せない

やる気を出す最善と思われる方法に、はじめる、というのがある。いやだなーと思っていないではじめちゃえば気分ものってくる、というものです。最近の脳科学でも、ヒトの気持ちは身体ベースだといわれていて、行動を変えると心も連動して変わってくる、といわれています。

でも、私はいつも思います。その、はじめる第一歩が難しいんじゃー

 

1.行動療法の見地から 行動の鎖

行動療法では、行動は一連のつながりだと考えます。例えば、これから靴下をはくとします。

左足の靴下を手にとる→左足をくの字にまげる→足の指を上げる→手を足の指までもってくる→靴下の入り口を広げる→足の指にかぶせる→かぶせた靴下をかかとまで引っ張る→やったーはけたよー→右足の靴下を手に取る

こんな感じで行動は鎖です。今回は単純な内容ですが、買い物であったり通勤であったり、すべての行動が小さな行動の鎖だと考えます。

この見地から、まず、靴下をはこうと考えずに、まずは靴下を手に取ろう、と考えて自分を励まします。そして靴下を手に取れたら、今度は左足をくの字に曲げるわけです。

 

2.行動療法の見地から エサを与える

行動療法では、好ましい行動の後に強化子(主においしいもの)を与えると、その行動が強化されると考えます。だから、自分にエサを与えます(笑)これこれこういう行動をしたらお菓子が食べられる、という風にです。

 

3.音楽を聴きながらやる

これは私の経験則ですが、音楽を聴きながらやると気分よくはじめられます(^-^)v

 

4.体を温める

東洋医学では、体を温めることで気を強化する、と考えるようです。私の経験でも、お風呂に入った後憂鬱が和らぎやる気が出たり、あたたかいものを飲むとやる気が出たりします。なので、私はよく強化子をホットココアやホットティーにします。

 

5.環境を変える

部屋だと寝てしまう、ネットで遊んでしまうという人は仕事をする場所を変えるとよいです。私はよく図書館に行きます。

 

よし、もしまた あーめんどくせぇー 一仕事の前にちょいとハム速チェックするかー となったらこの記事を見返すことにします(笑)

いのちの電話の説明会に参加した話

私は自分が死にたくて仕方がない気持ちから、同じような人の役に立ちたいと考えいのちの電話に応募した。

いのちの電話の応対者になるには10万ちょっとのお金がかかる。学費を自分で払っている身としては超大金である。その説明会ではそのお金の使い道etcについて詳しく説明があると思った。ところがその説明会ではちょろっといかにいのちの電話が素晴らしい活動かのビデオを見せて、所長がボランティアであっても仕事のように責任をもって活動をするようにとの挨拶で終わった。もちろん、私はバイトや学業と両立させてしっかり責任を遂行したいと思った。

質疑応答コーナーで私はなぜ10万もかかるのか。その内訳は?講師の先生のレクチャー代がかかるというので我々はボランティアでも講師の先生はボランティアではないのか、新聞の記事にボランティア相談員が数百万払うことをお願いされたとあったがこれは本当か?などの質問を投げかけた。私も言い方がきつかったかもしれないが、それほど10万は大金であり、そして学業やバイトと両立し責任を果たすことは大変なのだ...質問をされた司会者の方は顔が真っ暗になっていて、私のことが本当に嫌なようだった。私は10万の内訳を納得いくまで説明していただけなかったので、いのちの電話の相談員になることをやめた。

私の斜め前に座った爺様がそりゃそうだ、宿泊費にこの値段はおかしいよ…、と同調してくれ、年配の女性が、私もその記事見たわ…と教えてくれた。

しかし、それ以外では、私のほかの質問者はみな自分がいのちの電話の相談員として選んでもらえるか(いのちの電話の相談員になるには選考がある)がとても気になるようだった。

アダルトチルドレンの宗教性

前回の記事で、オウム真理教との共通点について述べた。今回もまた、アダルトチルドレンの宗教性について書く。

私がアダルトチルドレンだったとき、この考え教えの素晴らしさをほかの人に教えたくなった。当時塾講師のバイトをしていたもんだから、生徒に「お母さんはどんな人?お父さんは?」としつこく聞いていた。両親と仲が悪ければしめたものである。その子が親と対立するようにし向けるように話をきいていた。そして、同僚にその手の人がいれば、それはネ、アダルトチルドレンとか、機能不全家族っていうんだって、それでネ…勧誘行動をしていた。そして、自助グループでは、なんでもアダルトチルドレンの味方で解釈し、シェアしていた。例えば、自分の都合の悪い人は皆機能不全家族の出身者、という風に話す人もいた。そうこうしているうちに、機能不全家族で苦しめられた私に、機能完全家族で育った社会の人たちはなぜなにもしてくれないんだろう?カウンセリングを健康保険の対象にしたり、税金の免除くらいするべきだ、と考えるようになった。そして、機能完全家族の奴を殺してわからせてやる!という考えまで浮かんでしまったのだ(´;ω;`)テロ

今は全くこのような考えはなく、広く社会の人の役に立ちたいと考えている。でも、もし、私がテロを実行していたら?これはまるでオウム真理教だ。

解脱と卒業 アダルトチルドレンと宗教性

オウム真理教の目指したことの一つに解脱がある。

解脱するためにはいくつかのステップがあって、そのステップごとに正悟師、正大師と階級が上がっていく。信者たちは正大師や教祖のシャクティパットやワークなどの多額のお金をかけてヒーリングや面談を通して修行をすすめていく。このように正悟師や正大師はそれより地位の低い出家者の指導者となる。そして最終の教祖の境地までくれば解脱だ。

これってアダルトチルドレンなどのカウンセリングと似ていると私は考える。アダルトチルドレンの考えでもハイヤーパワーのお導きにより12のステップがあって、カウンセラーの相談料やワークにお金を払ってすすめていく。それを達成すると卒業する。そして、ある程度のお金(70万だったかな?)を払ってピアカウンセラーになるための講義を受ければちょっとした指導者になれる。そして、日本国内のアダルトチルドレンの親玉の精神科医がやってる大学院に300万払って講義を受ければ晴れてアダルトチルドレン専門の臨床心理士の誕生だ。

私はこの親玉の集会に行ったことがある。結婚で悩んでいる女性のクライエントがみんなの前でこの親玉に、二人の求婚者がいるがどちらを選べばいいか質問をした。するとこの親玉は、年寄りのほうが金払いがいいから年寄りを選べと命令したのだ。

私はこの親玉が、精神科医というよりは浅原彰晃に見えた。