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④仏教の愛の観念と親孝行

仏教における親孝行とはなにかといいますと、これまた親を仏教徒にするためだとか、苦労かけないことだとか、社会貢献することだとか意見はさまざまなのですが、私はブッダが親を捨てて出家した点に注目したいと思います。

ブッダは全てを捨てて沙門(婆羅門へ疑問を持ち自分なりに修行する人々、婆羅門とは大金をはたいて葬式をすれば死後良い世界へ行けますよと謳う、世襲制のお坊さん)として仲間とともに修行したり、修行者の弟子になったりしていましたが、やっぱりそれでは苦しみから抜け出せないじゃないかとそれらの人々とお別れをして大きな木(菩提樹)の下で瞑想していたら、全てには原因があることと、苦しみの原因は欲望からくる愛であるという発見をしました。

それで、ブッダはしばらく涅槃(心が静まった状態)を楽しんでいたのですが、ふと一緒に修行をしていた沙門たちにも教えてあげたいなと思うようになって、教えてあげました。それぞれ涅槃に至ることができました。そうするとうわさを聞き付けたいろんな人から「ブッダさん教えてください」と頼まれるわけで、それで教団ができました。ブッダはいったん捨てた自分の子どもや義母(実母は死去)たちにも教えてあげました。この人たちも涅槃に達しました。

ブッダは親から自立した後、親以外の人々と同じように親に接したわけです。

私はこの、自分自身が自立し、さらに親に対して他の人々と同じように接するということが仏教での親孝行だといえるのではないかと思います。ですから、以前の記事で書いた「すべての生き物に対しての愛」つまり慈悲の愛をもつことが親孝行なのではないかと思います。ですから「私が特別に幸福になるために親孝行しろ」だとか「親だから親孝行しなければならない」というような考えは仏教では無効なのではないかと思います。

 

私はまだまだ不勉強ものなので、偉いことは言えない身なのですが、「親孝行」という概念で苦しんでいる人は結構いるのではないかと思い、この記事を書きました。

 

以上の見解は主に以下の文献を参考にしました。

宮本啓一 『ブッダが考えたこと これが最初の仏教だ』 春秋社、2004年。