欲望社会と愛
欲望社会と愛
愛にも色々種類がある。古代ギリシアではフィリアという概念が、キリスト教ではアガペーという概念がある。これらも愛と訳されるが、それぞれ違う。
現在の経済は欲望をもとにまわっている。現代日本の愛もまた欲望がもとになって出来上がった概念である。
私は、多くの苦しみはこの欲望による愛によって起きると考えている。
たとえば、ある母親は愛する娘が不登校で悩んでいる。これは欲望による愛が原因で悩んでいる。母親は、娘の不登校でご近所で噂されたくないと欲望しているからである。この母親は、自分が娘のために心配していると思い込んでいる。
現代日本社会では愛は商品になっている。たとえば、ブライダル会社は愛する人と結婚して幸せになろうと宣伝する(そして医者や弁護士と結婚して自慢したい女の欲望を刺激)。学習塾は、教育こそ親の愛の表現だと宣伝する(そしてブランド大学に入れて自慢したい親の欲望を刺激)。こうした商品化が欲望による愛を加速させる。こうして、愛とは自分の欲望を発露させることだと思い込む人々で溢れる。欲望による愛により結婚し家族をつくるので、夫婦間、親子間で欲望喧嘩になるのは当然である。
そして人々はこう言う。こんなに愛しているのになんで自分の思い通りにならないの。
そもそも、子どもが生まれるのは両親の情欲の果てである。この状況で、無償の愛が生じる方が不思議ではないだろうか。私は、母親の押し付けがましい無償の愛は、社会的抑圧と、宗教的抑圧によるものだと考えている。
アリストテレスの記事でも書いたが、アリストテレスの研究者によると、愛とは自分の欲望を滅することだという。