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ブログの紹介

ここ数年悩んでいること。

 

心理学といっても、結局は宗教のような様相なんじゃないのかなってこと。

私は今まで、アダルトチルドレンのための臨床心理士によるカウンセリング、大学でやっている西洋式のカウンセリング、日本式の内観法、真言宗の坊様の相談、曹洞宗の坊様の相談、クリスチャンによる相談を受けたことがある。これらの人々はみなそれぞれ異なった信条をもって相談にのってくれた。

私は大学で実験心理学を専攻した。実験心理学では、自然科学の仲間入りを目指し、ハトやラットを使った行動を研究していた。ここ十年はMRIの開発により、脳への探求が急激に進んだ。そして、記憶が不確かである(虚偽記憶)との知見から、フロイトをはじめとするトラウマを基にした臨床心理学とは対立するようになる。

私は10代のころまちがえて実験心理学の大学に入ってしまったクチだから、臨床心理学のほうが興味があって、個人的によく調べる。でも、この臨床心理学と実験心理学の溝はとても深いと感じる。臨床心理学では当たり前だとされていることでも、実験心理学ではデータによる裏付けがないから却下だ。反対に、臨床心理学派の人は、実験で人の心を扱うなんて…と軽蔑するかもしれない。

ある時、臨床心理士実験心理学による知見や仏教の見解を話してみたら、それがアダルトチルドレンの思想に都合が悪かったためかもう来るなと言われた(笑)きっとこの臨床心理士は、アダルトチルドレン専門の臨床心理士という看板の中に閉じこもってしまっているに違いない。それはすごく楽なことなんだ。そして、私もまたなにかしらの信条の中に閉じこもっているんだ。そして、これは多くのカルト教団ととてもよく似ているんだ。そして、このカルト教団の仕組みというか、そうした精神は、この世界の至るところに溢れているんだ。大学で出会った新聞記者は言った。人間と宗教は切っても切り離せない。

何が正しくて、何が正しくないんだろう。何がひとのためになって、何が人のためにならないんだろう。それって、ただの偶然なんじゃないか?大乗仏教では善行を奨励するけど、善ってなんだ?私の行動が相手のためになったとしたらそれは善行ではなくて単にたまたま相手にとってよかっただけだという偶然なんじゃないのか?だから、私は誰にも何にもしてあげられないんだ。

 

カルト教団の幹部はブログで、私が最善だと信じたものは、ただ偶然にであっただけの人物だったと書いていた。それってありふれたことなんじゃないのか。

 

精神科医 最上悠のブログ

とてもおもしろく読んだ。

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