blog

ブログ

閲覧ありがとうございます

イメージや概念で見る、教育・家庭問題

ある日の朝、公園で休んでいたら「先生、おはようございます。」と、担当したことのある子が声をかけてくれた。そう、私は格好だけ、"先生"なのだと意識するのと同時に、とても奇妙に思った。

私はただの人間だ。

これは、学校の問題や家族の問題にも通じるのではないか。子どもを産んだだけで"母親"になる、お金を払って大学で講義を受けただけで"教師"になる。そして生身の人間である以上に、イメージや概念が先行する。

ある人間AがBを殴った。
ある母親Aが娘Bを殴った。
ある教師Aが生徒Bを殴った。

ある人間より、母親や教師のそれのほうが感情が揺られるのはなぜだろう。教師や母親も人間なのに。それは、イメージや概念で縛られてるからだ。

だから、虐待や体罰問題が起こったときは、根本的な解決はなされず、「先生やお母さんが殴るなんてダメだよね!!」で話が終了してしまう。それで思考停止なのだ。それは、理性よりも感情やイメージを優先させているからだ。

どんな人であろうと他者を殴るのはよくない。だから、母親だから、教師だから、ではなく人間としてこうした問題を考えていかないと根本的な解決にはならないのではないか。

そう、我々はイメージや概念で規定され過ぎているのだ。