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善とは何か

アリストテレスによれば、万物は善を希求しているという。善にもさまざまあって、ほとんどが、善のように見えるものだという。善には、手段となるものと目的となるものがある。手段と目的の連鎖をたどった果ての最終的な目的が幸福である。(アリストテレス、ニコマコス倫理学)

私が最近考えるのは、善とは都合が良いものなのではないか。人によって都合は違うから、ある人にとって善でも他者にとってはそうではい。そして、ある集団ができたときは、権力者、あるいはマジョリティーの都合(善)が優先され、それが確固たる不動の善だと集団の共同幻想となる。そして、弱者が善を押し付けられて苦しむ、モヤモヤ感じるのはこのためである。
羽入 辰郎によると、ナチズムなどでよくあるデマゴギーは善行の強制だという。支配として自己犠牲などの美徳を強制するのだ。
話が大きくなったが、私は、とは、こうした善の最たるものなのではないだろうかと思う。理想の母とは、実に子どもにとって、家族にとって、社会にとって、国家にとって都合が良い。そして弱者であるは自己犠牲を強いられ、理想の母、つまり都合のよい存在にならない場合は鬼母扱いされ避難される。