内観技法とアダルトチルドレンのカウンセリング
内観法について
内観とは、日本生まれの技法である。
主に母親を中心に
- していただいたこと
- 迷惑をかけたこと
- してあげたこと
を思いだし、面接者に話す。
内観が終わったあと、いかに自分が母親を中心とした人々から愛されていたか感涙するのが典型である。
この技法のおもしろいところは、西洋のカウンセリングとは真逆だということだ。西洋、特にアダルトチルドレンのカウンセリングは
- してもらえなかったこと
- 迷惑をかけられたこと
- されたこと
をカウンセラーに話すのだ。
両方に欠点がある。内観の欠点は、この技法が良心を前提に成り立っていることだ。世の中の全ての親は善良で欲望がなく慈悲深いという前提がある。これは大乗仏教にも共通していることであるが、虐待はないことになっている。だから、たとえひどい虐待を受けたとしても親に感謝しろ、ということなのだ。子どもに依存し、感謝・恩を要求する親の子どもには向かない。
アダルトチルドレンのカウンセリング技法の欠点は、してもらえなかったことは底無し沼だということだ。有限のしてもらったことに対して、思い付けるだけ、してもらえなかったことは無限にある。だから、クライアントは一生カウンセラーのもとで愚痴を言い続けることになり、本質が改善されぬままカウンセラーが儲かる。これは、クライアントは成長なしに、欲望を発露し、消費しているだけである。
私は上手く両方を折衷したら良いカウンセリングになると思う。その手順は…
- 衣食住について親に感謝する
- 親の至らなかった点を考える
- 今自分のできることを考える
欲望社会と愛
欲望社会と愛
愛にも色々種類がある。古代ギリシアではフィリアという概念が、キリスト教ではアガペーという概念がある。これらも愛と訳されるが、それぞれ違う。
現在の経済は欲望をもとにまわっている。現代日本の愛もまた欲望がもとになって出来上がった概念である。
私は、多くの苦しみはこの欲望による愛によって起きると考えている。
たとえば、ある母親は愛する娘が不登校で悩んでいる。これは欲望による愛が原因で悩んでいる。母親は、娘の不登校でご近所で噂されたくないと欲望しているからである。この母親は、自分が娘のために心配していると思い込んでいる。
現代日本社会では愛は商品になっている。たとえば、ブライダル会社は愛する人と結婚して幸せになろうと宣伝する(そして医者や弁護士と結婚して自慢したい女の欲望を刺激)。学習塾は、教育こそ親の愛の表現だと宣伝する(そしてブランド大学に入れて自慢したい親の欲望を刺激)。こうした商品化が欲望による愛を加速させる。こうして、愛とは自分の欲望を発露させることだと思い込む人々で溢れる。欲望による愛により結婚し家族をつくるので、夫婦間、親子間で欲望喧嘩になるのは当然である。
そして人々はこう言う。こんなに愛しているのになんで自分の思い通りにならないの。
そもそも、子どもが生まれるのは両親の情欲の果てである。この状況で、無償の愛が生じる方が不思議ではないだろうか。私は、母親の押し付けがましい無償の愛は、社会的抑圧と、宗教的抑圧によるものだと考えている。
アリストテレスの記事でも書いたが、アリストテレスの研究者によると、愛とは自分の欲望を滅することだという。
資本主義社会
私が”資本主義社会”という言葉を意識するようになったのは、そう、中学生の時のこと。
私の担任の先生は言った。「あなたの両親は貧しい。だからあなたの夢は叶わない。資本主義社会なんだ、わかるだろう。」
なんてひどい言葉なんだろう。でも、いまから思えばこれは珠玉の言葉であった。10年努力したって本当にそうなったんだから。
でも打開策はあるかもしれない。
”私”とは何か②
自分が何者かわからないのは、人と人との関係性が弱いから。
私は誰かを決めるのは人と人との関係性であって確固たる私があるわけではない。
"私"とは何か①
二か月前に私は”消えたい”という消極的な記事を書いた。
それは今も同じでへとへとに疲れると特急列車に突っ込みたくなる。
そんな状態だが、この二か月で少しは好転した。
それは固定した”私”がなくてもとりあえずは生きていけるじゃんか、ということに気が付いたことだ。
私がだれかわからなくても、とりあえずは明日は来る、ということ。
ただ、不便なことがある。それは他人に不信がられることだ。
日本人のアイデンティティ=私はどこの集団に属しているか、で決まる。
私は集団に所属していないから、いつも質問攻めにあう。
「どこの大学ですか」「どこの会社ですか」...etc
そして、いくら説明しても相手を納得させられないから、相手は不安がるのだ。
そこで私は信頼できる仲間以外は数年前から嘘をつくようにしている。
私はもう根掘り葉掘り聞かれるのが嫌だから、三年近く美容院に行っていない。
もし美容院に行ったらこんな会話になるだろう。
美「お仕事何されてるんですか?」
私「平日休みの仕事です」
美「へー。平日休みじゃぁ接客業ですか」
私「そーです、そんなかんじですー。」
美「え、じゃぁ販売とかですか?」
私「そーです、よくわかりましたね(驚)。美容師さんも平日休みですよね、平日休みだとお店すいてていいですよねー?」
こんな感じで、相手の脳内に合わせて嘘をつくと、相手は勝手に解釈をして安心してくれる。そして、なるべく早めにこちらの話を切り上げて、質問をするのだ。こうすることで、どうにか固定された私がない状態=集団に所属していない状態で生きてきた。
嘘をつくことに対する罪悪感があって、知人に相談をした。彼によれば「そんなこざかしいことをしないで、私は変人でーす、根掘り葉掘り聞いてもわけわかんないだけですよーって言っちゃえばwあなた変人だからwww」って言われた。それができたら苦労しないんだけどなー。
PMSがかなり良くなった話
今回は私のPMSが改善された話を書きます。
PMSで困っている方たちの参考になれば幸いです。
PMSとは…月経前症候群ともいい、女性が生理前になりとイライラしたり、悲しくなったりするという精神的な症状のことです。
お医者さんでも知らない人がいてるくらい知名度の低いもので、産婦人科に行っても、漢方を処方されるほかないといった有様でした。その漢方を飲んでもあまり改善せず…。
ネット上でも情報が少なく、一生懸命調べても「ハーブ茶を飲む」、「運動をする」、「楽しく過ごす」ばかりで具体的な体験談や対処法がありませんでした。
私がPMS真っ盛りだったときは、生理前の一週間、絶望を感じ、何度も自殺を考えました。仕事中は真っ青で死んだ顔で仕事をし不注意を連発してさらに憂鬱に陥り、休みの日は絶望の中でネットをさまよう、という状態でした。そして夜眠れないという不眠にも悩みました。一睡もせず仕事、ということもありました。
そんな私のPMSライフがかなり改善されました。近頃は「あー、めんどくせー…。イライラ」程度ですんでいます。
さて、具体的な方法をご紹介します。
1.身体を温める
長年のPMSライフの中で発見したのは、体を温めると憂鬱が和らぐということです。お風呂に入ったり、温かいものを飲んだり、早歩きをしたりして体があったまると憂鬱が和らぎます。特に目覚めたあとすぐ温かいものを飲めばその日一日の気分の質がかなり高まりますし、早歩きで歩き回っていると考え方も整理され、体も適度に疲れるので眠りに入りやすいです。
2.インターネットを辞める
人は不安になるとぐるぐる思考になります。ぐるぐると同じことを考え続け、自分の思考の無限ループにはまってしまいます。そしてこのぐるぐる思考でインターネットに接続すると、同じような記事を読み続け、さらにぐるぐる不安思考にはまってしまいます。私はそうなってしまったため9年前、携帯のインターネットを切りました(今はPMSがよくなったので3GBの制限付きで復活)。一時期家のネットも切って用事の時は漫画喫茶に行っていました。さすがにそれでは生活できなくなったので家では復活させましたが、家ではぐるぐる思考になってしまっても、外ではネットのない環境なので外ではハマることはなくなりました。
3.幻想を消滅させる
人は幻想の中で生きています。人間社会なんてものは、ひとびとが作り出す共同幻想なのかもしれません。そして、われわれはその共同幻想の中で夢におち、捕らわれています。私がPMS改善で最も効果的だったのはこの"幻想を消滅させる作業"です。2014年から真剣に取り組みはじめ、今では2年目でやっと目に見える効果が出てきたといったところでしょうか。時間がかかなりますが、それは永続的で、効果大です。このブログの他の記事でもたびたび話題にしていますのでよろしければご覧ください。
4.換気する、掃除する
朝起きたら空気を入れ替えます。生理前・中は掃除がおっくうになり部屋がごちゃごちゃになるので、生理日以外の日に部屋を最適化しておきます。できるだけ物を減らし、整理整頓しやすいように整えておきます。また、買い物もできるだけしないようにして
物を増やさないように工夫しました。部屋が片付いていることで憂鬱感も減らせます。
5.瞑想をする
宗教嫌いな方はぎょっとするかもしれませんが、あまり深く考えずに”何も考えない時間をつくる”と解釈してください。1分でも2分でもいいのでぼーっとするのです。結構難しいですよ。私は2年くらい続けてやっと余計なことを考えにくくなりました。
いかがでしたか?私の個人的な見解からPMSへの対処法をまとめてみました。以下はおまけです。
1.どうしても死にたいとき
私はPMSで本当に死にたいくらいつらくなった時があります。そんなときは「あと**歳まで頑張ってみよう」、「7月になったら死のう」などと決めてみることです。私はこうして今も生きています。きれいごと抜きでうわべではなく本気でそう決意することで、こころがすっと軽くなります。今では「どうせ**歳で死ぬわけだった人生だったんだから」と思ってたとえ不遇なこと、不運なことがあってもそんなに落ち込まなくなりました。なにせどうせ死ぬ命だったわけだから。
素材:PAKUTASO