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翻訳家になっちゃいました

しばらく更新しなかった間に…

 

翻訳家になっちゃいました!!

 

こちらのサイトで簡単に始められます。未経験だったのにすぐ仕事をいただけました。

 


今まで 私とは何者なのか

悩み続けてきましたが、少し解消しました。

仕事がない時期に飲み会誘われたって「翻訳で忙しい」っていえるから助かる(泣)

 

それに、自宅で気楽にできるし、バイト屋や派遣みたいにシフト出していたのに お休みにさせていただきます がない!!

長く続ければ続けるほど容量も身に付くし、信頼もアップします。バイトや派遣だといくら努力しても報われませんからね…。

 

ランサーズでは、2割は会社に渡さなければいけません。かなり安いですよね、だって派遣だったら5割は派遣会社がとりますよ。それに塾講師では、親御さんの払うお金の1/3しかもらえませんでしたもん(泣)

私とは何かに関する仮説

この数年間、私とは何かについて考え続けてきた。そして、なんとなくみえてきた。

その仮説とは、私は伝達そのものなのではないかということ。私の考えることなど、大きな情報の一部に過ぎない。そして、一生涯情報を蓄え続けても、すべてを知ることは無理だ。真理はあるが、たぶん不可知(神のみぞ知る)である。だが、真理に近づくことはできる。そして、その道はいくつもある。だから、たくさんの考えや異なった情報、宗教があっていい、いや、その方がいい。その情報は、過去から未來へと流れていく。私の体は、その通過点の媒介者でしかない。だから限界がある。しかし、情報は人類滅亡まて半永久的だ。人づてに形を変えていく。変化自在だ。孔子は、上善水の如しと言ったが、情報も近いものに感じる。
生物は、古来より遺伝子を伝達して進化してきた。一部変異を抱えた。これが個性。
人間は社会的な動物で、言語をもっている。言語による思考は、ほとんどがいらないかもしれないが、真理に近づくための強力な武器だ。
情報の媒介者は、誰もがなれる。たくさん勉強して(学校でよくある暗記ではなく)、人と話し、自分でその情報を咀嚼して取捨選択しまとめ、次の必要としている人に渡すだけだ。そしてこれは絶対者への信仰はいらない。こうして、私個人としての人生は終わりだ。ある意味これはポジティブな自殺だ。そして、私は伝達そのものとして、情報の媒介者として生き続けるのだ。半永久的に。

だぶん(笑)

希望を捨てる

私は全財産が段ボール二箱だけ。
片付けをするとまるで遺品整理をしている気分になる。よく気の毒がられるが、これは私の好みで、とても身軽だ。

ついこの間、希望さえ失ってしまった。

しかし、失ってみて思うことは、希望がなくても生きていけるということだ。そもそも希望の成分は何だろう。自分の内側から沸き上がる何かではなさそうだ。きっと外付けされたものだろう。だから、私も能動的に希望を捨てたい。こんなもんいらないやと希望を捨てて、今を全力で生きてみたい。

地球環境保全のための少子化

日本では少子化が問題だと言われる。
子どもが減ると経済成長が保てないし、お年寄りの面倒がみれないから。
でも、地球環境の保全を考えれば、必要なことなのかもしれない。
これ以上人口が増え続ければ、食糧や物資の取り合いになってしまうから。

甘えの構造

よく、話さなくても気づいて欲しいという状況に陥る。たとえば、お店で、品を見ている他のお客のいる狭い通路を通ろうとするときに、そのお客がこちらに気づいてくれるのをずっと待っていたりする。そして、何で気づいてくれないのだろうとイライラし、嫌悪する。ただ、ちょっと通りますよ、と声をかければ良いのに。
土居健郎はこの精神は甘えと呼ぶ。

直観を働かせる秘訣は考えないことである

考える、故に我ありと説いたデカルトも、実は考えない方が理性が働きやすいことを『方法序説』の中で語っている。
ショーペンハウアーも『知性について』で、あまり考えない方が直感が働くようになるという。
仏教哲学でも、瞑想をつかって考えないようにする。
考えない方が上手くいくのだ。

しかし、この考えないというのはどうどう巡りの思考をしない無駄なことを考えないという意味で、大事なことはしっかり考える必要がある。