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あるカウンセラーが腕がいいかなんてどうやって見分ける?

1.値段

カウンセラーの腕によって金額が高くなると思ってしまう人は多いかもしれない。化粧品でさえ、高ければ高いほどよく売れる、つまりよく効くと思い込ませるという。これは、本当に品質がいいかというよりは、効きそうだというイメージにお金を払っている。

美容院だと、美容師になりたての人は3000円、マネージャーだと4000円、店長だと5000円というように値段が違ったりする。でも、髪型の好みの相性や、そもそものセンス(店長なのに下手ということもあるかもしれない)などなどいろいろな要素があるはずだ。だから、値段で判断するのは危険なんじゃないだろうか。

 

2.資格や経験

臨床心理士の資格を持っていたらその人は有能なカウンセラーだろうか。私は何の資格も持っていないから、えらそうなことはいえないが、そうは思わない。以前、頭部を激しく打ち付けられ頭が割れ、そのあと、土に埋められた女の子の養父の裁判の傍聴に行った。その養父の年配の弁護士は、テニスボールを女の子の頭に見立て、女の子の頭は養父による暴行ではなく、動物に食われたと主張した。テニスボールを書記官や裁判長にまで配ろうとしたため、裁判長に怒られていた。私はとても衝撃を受けた。弁護士の資格を持ち、しかも年配のいかにも経験のありそうな人は、とても立派で完璧に仕事をするものだと思っていたからだ。だから、私は年齢や資格でカウンセラーを判断するべきではないと考える。資格信仰という概念もとてもおもしろい。

 

3.口コミや込み具合

口コミや、込み具合、いわゆる人気度で選ぶのもどうかと思う。なぜなら、もしかしたらそのカウンセラーはただ単にクライエントの欲望を刺激しているだけかもしれないからだ。欲望を刺激すれば人気が出るし、しかも治らないから、クライエントはずっとお客さんでいてくれる。

 

じゃぁどう選べばいんだよ!?

この質問はとても難しい。素人に選ぶのは相当難しいだろう。でも心構えはかえることができる。その心構えとは目の前の専門家、えらい先生が絶対に正しいと思わないことだ。そして、専門家自身も、己惚れずに常に自分を疑い自問自答してさらなる探求をしていかなければならない。それができずにただ地位と収入だけが高い専門家はカルト教団の教祖と変わらない。

私は、もし望みがかなうなら、そんな専門家になりたい。でも、そんなふうにして生きられない。

 

以下はブログの紹介。とてもおもしろい。

心のケアは誰のもの?精神科医が自殺を減らす…という幻想と思いあがり

ブログの紹介

ここ数年悩んでいること。

 

心理学といっても、結局は宗教のような様相なんじゃないのかなってこと。

私は今まで、アダルトチルドレンのための臨床心理士によるカウンセリング、大学でやっている西洋式のカウンセリング、日本式の内観法、真言宗の坊様の相談、曹洞宗の坊様の相談、クリスチャンによる相談を受けたことがある。これらの人々はみなそれぞれ異なった信条をもって相談にのってくれた。

私は大学で実験心理学を専攻した。実験心理学では、自然科学の仲間入りを目指し、ハトやラットを使った行動を研究していた。ここ十年はMRIの開発により、脳への探求が急激に進んだ。そして、記憶が不確かである(虚偽記憶)との知見から、フロイトをはじめとするトラウマを基にした臨床心理学とは対立するようになる。

私は10代のころまちがえて実験心理学の大学に入ってしまったクチだから、臨床心理学のほうが興味があって、個人的によく調べる。でも、この臨床心理学と実験心理学の溝はとても深いと感じる。臨床心理学では当たり前だとされていることでも、実験心理学ではデータによる裏付けがないから却下だ。反対に、臨床心理学派の人は、実験で人の心を扱うなんて…と軽蔑するかもしれない。

ある時、臨床心理士実験心理学による知見や仏教の見解を話してみたら、それがアダルトチルドレンの思想に都合が悪かったためかもう来るなと言われた(笑)きっとこの臨床心理士は、アダルトチルドレン専門の臨床心理士という看板の中に閉じこもってしまっているに違いない。それはすごく楽なことなんだ。そして、私もまたなにかしらの信条の中に閉じこもっているんだ。そして、これは多くのカルト教団ととてもよく似ているんだ。そして、このカルト教団の仕組みというか、そうした精神は、この世界の至るところに溢れているんだ。大学で出会った新聞記者は言った。人間と宗教は切っても切り離せない。

何が正しくて、何が正しくないんだろう。何がひとのためになって、何が人のためにならないんだろう。それって、ただの偶然なんじゃないか?大乗仏教では善行を奨励するけど、善ってなんだ?私の行動が相手のためになったとしたらそれは善行ではなくて単にたまたま相手にとってよかっただけだという偶然なんじゃないのか?だから、私は誰にも何にもしてあげられないんだ。

 

カルト教団の幹部はブログで、私が最善だと信じたものは、ただ偶然にであっただけの人物だったと書いていた。それってありふれたことなんじゃないのか。

 

精神科医 最上悠のブログ

とてもおもしろく読んだ。

見た目について

家族に恵まれなかった人、特に女性で母親からの妬みを受けたらしい人は男の子のように育てられ、おしゃれを学べずに成人してしまうという。

かくいう私も、普通にやれるために身なりには大変気を使っている。

とはいってもレベルが低くて、恥ずかしいが。
そして実家を出たてのときは、ファッション誌を買って読んでいた
今ではおしゃれとはいえないが、自分で納得できる服装にはなった。そこで得たことは…

  1. ファッション誌ではなく道行く人の服を観察

ビジネス街で原宿系の服装をしていたら浮くように、普通にみられたいだけならば、ファッション誌ではなく街ゆく人を観察し、いいなと思う服装を取り入れると調和できる。街ゆく人なら、まねされたって怒らない。

  1. ユーズドを活用

いろいろな服を着ているうちに似合う、似合わないがわかってくるために、不要な服も出てくる。だから気楽に売ったり買ったりできるユーズドをすすめる。

  1. 他人の服装なんて気にしない

よっぽどの服装でなければ人は他人の服装なんて気にしない。気にされるのは芸能人くらい。自分は芸能人じゃないんだから誰も見てないよと気楽に考える。極論全身ユニクロでも周りと調和していれば誰も気にしない。

  1. フォーシーズンカラーを参考に

人は似合う色でタイプ分けできるらしい。
診断できるサイトがたくさんあるので参考にしてみては。
大きく分けてブルーベースとイエローベースに分けられ、ブルーベースはローズや紫など青みのある色が、イエローベースは黄色やオレンジなど黄味が似合うという。
赤にも、朱色や赤紫などいろいろあるので研究してみるとおもしろい。

  1. 化粧品について

ブランドが良いものだとは限らない。某大手化粧品会社勤務のある人によると、化粧品はイメージで売っている、という。だから高いからといってその値段にみあってるとは限らない。
安めの化粧品を買ってどの色が似合っているか色々と試してみると良いと思う。
無難に周りと調和することを考えればとりあえずブラウンのアイシャドーとピンクの口紅、チークを選ぶ。
セザンヌキャンメイクで出ているブラウン系のアイブローはアイシャドーとしても使え、しかもフォーシーズンカラーどの人にも合うのが見つかる四色展開である。
口紅はちふれの300円の口紅や、セザンヌでピンクを選べば浮くことがないはずだ。口紅をチークにしてしまっても良い。

  1. 髪型に関して

美容院に行っていた時代もあったが、今は自分で切っている。いままでで一番今の髪型が気に入っている。女だったら変に切っても束ねてしまえばわからない。

人間関係の築き方

アダルトチルドレンの思想を捨てた私は独学で仏教を勉強した。そんな知識を元に今は人間関係がとてもよく、自分でいうのも恥ずかしいが、職場では歓待されるくらいになった。いろいろな人から、あなたがいて本当に嬉しいと言われる。しかし死にたい気持ちは消えない

  • あいさつをしっかりする

おはようございます、お疲れ様です、などのあいさつをハキハキとする。これだけでも印象がかなり変わる。まちがっちゃったらはっきりごめんなさいという。

  • 声を大きく

相手に聞き取りやすい声でいる

  • できないことはできないと言う
  • きちんと断る

断り下手な人は いつまでにお返事すればよいですか、といったん保留にする

  • ほうれんそう

なにかする前に、これやっときますね、または、どうなんでしょうねと相談。した後に、これやっときました。と一言報告。これにより、よかれと思ってやったことが実は大惨事ということが防げる。大丈夫かもと思っても一応連絡。

  • 基本自分の気持ちは言わない

疲れた、だるい、眠い、嫌だ、などのネガティブな気持ちは言わないようにする。ただし、あまりにもひどい場合は言うべき。

  • 自分の話をおさえて相手と共有できる話をする

天気と気温の話は万能な話のタネ。急に寒くなりましたネ~、最近日が落ちるの早いですよネ~の一言。とにかく相手との共有を。

  • 悪口に参加しない

悪口を言われてもへぇ~そうなんですか~で逃げる。

  • 嘘は言わない

ただし方便としての嘘は例外。

  • 物事を客観的にみる

あれ、私嫌われたかな、は主観的な考えなので辞める

  • 反省をし、後悔をしない

なにかしでかしても、改善策を考えて(反省)紙にでも書いておき、ねちねち考えない。どうしても考えてしまう場合は、これは10年後でもまだ後悔しているかな、と考える。

はた迷惑なアダルトチルドレン

私は元アダルトチルドレンである。そしてアダルトチルドレン時代に考えたこと。それは…

アダルトチルドレンって超迷惑な存在なんじゃないかということ

  • 自分が愛されるのは当然である
  • 両親は愛してくれなかった
  • だから両親の代わりの誰かが自分を愛するべきである

という信念を私はもっていた。だから、よく他人にいかに私が両親から愛されずに不幸だったかを力説していた。その反面嫌われたのではないかと常々不安だった。よく、誰々さんにしちゃったな、嫌われたかなと思っていた。
そう、自分のことしか考えていなかった
アダルトチルドレンは...不幸な家庭に生まれ、辛い経験をしてきた。そしてその振舞いから孤立する。救いを求めたカウンセラーは怒れ、と言う。そしてアダルトチルドレンは自助会で怒りまくり、現実社会に疎まれ人に嫌われ超迷惑な存在として孤独に生きるのだ。
そんなの、あんまりじゃないか。

私は、アダルトチルドレンの思想は捨てた。しかし、こうした運命を乗り越えて幸福に近づく方法を、これからも模索していく。

学歴社会 中卒でも働ける社会へ

募集職種:レジ
応募資格:高卒以上
時給:800円

私はこうした募集に常々疑問を感じている。なぜ、専門職でない単純な仕事に学歴を求めているのか。高校を出てなくても、勤まるのではないかと。
私の知人は普通の家庭で育ったかどうかを選別しているのではないかといっていた。確かに、中卒は現在では珍しく、普通でない。普通の家庭では、高校くらいは出してやろうとするはずだ。
だから、普通の家庭でなかった人にとっては非常に生きづらい。社会が普通の家庭で育てなかった人を選別するのである。それはあんまりじゃないか。そうした人が裏の世界へ行ってしまったとしたら、それは社会の側にも要因がある。

親の役割について

親の役割とはなんだろうか。人によって様々だが、今回は私の持論を述べる。

  1. 衣食住を満たすこと

私は親の役割はこれがほとんどだと思う。

  1. あいさつ、あんぜん、あとしまつ

これは私の母校にあったさんあうんどう。おはよう、いただきます、いってらっしゃい、いってきます、ありがとう、ごめんなさいの各種あいさつができ、安全を考えて行動する、簡単な片付けをすることができていれば、しつけのしっかりできた良い子であると思う。

  • 悲しいのは母子が消費の王さまであること

福沢諭吉の『福翁自伝』では、学校に金をかけることは絶対的な親の役割ではないと言っている。矛盾にも、福沢は子どもを海外に留学させ、慶應義塾はボンボン学校となっているわけだが...
現代日本では、母子は消費の王さまである。さまざまな企業が母子をターゲットに欲望を煽る。そうすると塾はあたりまえよね、予備校はあたりまえよね、毎月1000円のお小遣いはあたりまえよね、毎月3000円のお小遣いほあたりまえよね、ケータイはあたりまえよね、パソコンはあたりまえよね、DSはあたりまえよね、wiiはあたりまえよね、 高卒はあたりまえよね、大卒はあたりまえよね、 というように、欲望を叶えるハードルが非常に高くなっている。これは、現代日本社会で子育てがキツイ要因の一つである。本当にこれらが必要なのかよく考えるべきだ。
そして、子どもの側も、衣食住とさんあ以上のことを親に望むべきではない。欲望というのは底無し沼だから一生抜けられないぞ。