①アダルトチルドレンについて再考 こころに注目しすぎている 宗教に関して
このブログで最初に記事にしたのがアダルトチルドレンについて。
そして、一番アクセス数が多いのもアダルトチルドレンについて。
もう一度アダルトチルドレンについて再考したいと思います。
アダルトチルドレンとは、子ども時代に両親から愛されず、大人になってしまった人たちのことです。こうした人々は、大人になってからも対人関係で悩むことになります。
本ブログでは、アダルトチルドレンに対して、一部を認めつつも懐疑的に考えています。
今回は、アダルトチルドレン論は、こころに注目しすぎているのではないか、ということについて書こうと思います。
アダルトチルドレンの考え方では、ある人が対人関係で悩むのは、その人がトラウマを抱えているからだ、とします。しかも、そのトラウマの発生源が親子関係である、としています。
私が疑問に思うのは、このトラウマの発生源というのが、日米で微妙に異なっている、ということです。欧米では、父親が原因となりやすく、反対に、日本では母親が原因になりやすいです。もし、アダルトチルドレン理論が普遍的であり、人間の本性的な心に根差すものであるならば、このような偏りは出ないのではないでしょうか。つまりは、対人関係への困難に関しては、人間の本性的な心の在り方というよりは、社会的、文化的、宗教的に影響を受けているといえるのです。
単純な考え方ですが、欧米では、キリスト教、つまり父なる神を信仰する一神教です。そもそも、アダルトチルドレンはキリスト教を背景に成立しています。日本では、菩薩信仰のような母性を信仰するところがあります。そして宗教間の違いから、教育の傾向にも差が出るようです。欧米では父親に教育の権限を持つ傾向があり、日本では母親が持つ傾向があります。こうしたことから、欧米人と日本人とでトラウマの対象として父とするか母とするかで傾向が分かれます。
このように、対人関係などの人間関係や、そもそも人の心に及ぼす宗教の影響はかなり強いです。日本人は宗教嫌いの様相がありますが、日本人には宗教があまりにも生活になじみすぎていると言われることがあります。例えば、なぜ食事の前に手を合わせるのか。
アダルトチルドレンの考え方は、こころに注目しすぎていて、宗教や文化の影響を排除しているのではないかと私は考えます。